PRB論文 "Magnetic friction: From Stokes to Coulomb behavior"
この記事で言いたいこと
APS Journalを巡っていたら,とある重要そうな論文に出会った.
その論文は,スピン系の磁気摩擦の持つ性質に関する話であり,(状況設定が十分に広ければ)Stokes摩擦及びCoulomb摩擦という2つの理想極限(後述)がスピン系においても観測されるという(数値)計算結果である.
興味のある方は,以下のリンクに目を通して下さると嬉しい.
- これはレビュー記事ではないので,内容の詳細なフォローは行わない.
摩擦の理論的研究について
本題に入る前に,摩擦の研究に関する補足を行う.摩擦という現象自体はありふれており,誰もが日常で観測している筈である.摩擦なしには歩くことは出来ないし,モノを持つことも出来ない.一方で摩擦の低減(=潤滑)も重要な研究課題であり,例えばハードディスクにおいては回転円盤と磁気ヘッドの間にある空気層が潤滑を助けているという話も知られている.
これらの話は,実は高校物理でお馴染みの「静摩擦」と「動摩擦」という個別の現象に相当する.静摩擦と動摩擦のいずれかのみを扱う研究もあれば,2つの現象を統一的に理解しようという試みもある.今回話題にするのは,スピン系の動摩擦に関する結果なので,前者の比較的狭い範囲の話になる.
また,実際に摩擦というものがいかに定量的に評価されるかについても簡単に述べようと思う.一般に,ある速度で運動する物体が単位時間に
だけ定常的にエネルギーを散逸する場合,
は摩擦力
からされる単位時間あたりの仕事
に他ならない.これがもし
によって決まった値を取るとすれば,摩擦力
も速度
の一価関数となる.この摩擦力の速度依存性
を調べるのが,摩擦の理論的研究の究極の目標であるとも言え,ここで紹介する論文においても対応する結果が得られている.
摩擦力には,少なくとも
- Stokes摩擦:
- Coulomb摩擦:
という2種類の理想極限が存在し,摩擦であれば型の詳細によらず普遍的にStokes的な性質とCoulomb的な性質の両方を示し得ると信じられている.物理的には,これらは流体中を運動する固体が受ける粘性抵抗と固体同士で起こる(速度依存性のない)抵抗に相当する.
物性物理における摩擦の取扱い
ここでは,統計力学の立場からどうやって摩擦というものをextractするかについて軽く触れる.
エネルギー散逸を伴う(非平衡の)物理は,ざっくり分けて「保存系」として取り扱うか「(温度や化学ポテンシャルが一定の)非保存系」として調べるかの2種類である.保存系だと,Hamiltonianをと書いた時に
の効果を受けて
の固有状態を特徴づける「温度」がどう変化するかに注目する.一方で,非保存系ではある
のエネルギー固有状態がBoltzmann分布に従うような指向性をダイナミクスに持たせる.
磁気摩擦はスピン系のダイナミクスであるから,全スピンに対するexplicitな(歳差運動の)方程式を立てて解くよりも,全スピンがある温度の熱浴とcoupleしているという設定でMonte Carloシミュレーション(MC)を行う方が容易であることが多い.
一方で,全スピン(もしくは注目すべき一体や二体のスピン)の方程式を立てるのも不可能ではない.その方法はLandau-Lifshitz-Gilbert dynamics(LLG)として知られており,正しく取り扱えばMCと同様に十全な結果を示すことが知られている.
即ち,スピン系の動力学においては,MC及びLLGがそれぞれ非保存系及び保存系としての見方に対応している.
計算の内容といくつかの結果
Ising model及びHeisenberg modelのダイナミクスをMC及びLLGによって調べている.問題設定は,共通して「あるというポテンシャルがスピン系をなぞるように通過した時にどのようなフリップダイナミクスが起こるか」というものである.MCとLLGのいずれにおいても,そのような時間依存外場
(後述)を導入することは困難ではないので,MCとLLGという2つの手法を用いることはむしろ結果の信頼性を高める取り組みだと思われる.
このの形を色々に変えてみた結果,どうやらポテンシャルの滑らかさによってStokes摩擦からCoulomb摩擦へのcrossoverが起きるというのである.
具体的には,
という形を考え,を一定にして
を変化させると,ポテンシャルが(傾きが不連続な)箱型から(滑らかな)山型に切り替わる.箱型に近い場合にCoulomb摩擦がdominantになる一方,山型の場合にはStokes摩擦がそれに取って代わるというのが根幹の主張である.
もともと,スピン系におけるStokes摩擦とCoulomb摩擦を統一的な立場から理解しようという問題意識が存在した.具体的には,microscopicな視点からはStokes摩擦しか出てこないし,macroscopicには専らCoulomb摩擦であるという認識であった.
その辺の事情を理解するには,以下の2つの論文の結果を踏まえておく必要がある.
その内容を簡単にまとめると,
- 非平衡定常状態にある2体のスピン多体系の間で起こる摩擦をMCで調べると,
という特性を示した
- 一体のスピンと多体スピンの間で起こるstick-slip motionをLLGで調べると,
という特性を示した
という結果がそれぞれの主張である.
これらのcrossoverを見ようというのはよく出来た問題設定だと思う.だって,スピン多体系同士のMCは(よく見てみると)階段型のランダムポテンシャルがスピン系の上を通過する問題に過ぎないのだから,Coulomb摩擦しか出なくて当然なのだ.この立場に立つ以上は,スピン多体系同士の摩擦はある固体と固体のペアで起こるそれでしかない.ただ,この場合はIsing model特有ののstiffnessが効いているとも言うべきで,連続スピン系だとそうはならない可能性だってある.(連続スピン系なら空間的に緩く変化するポテンシャルとして振る舞う事ができるので,Stokes的な傾向を示し得る.まさかと思うが,もう既に似たような結果が示されていたり…?)
余談
2008年のPRB論文は,もともとstick-slip motionがStokes摩擦に直結するという話である.一方,多体版で同じことを考えると,stick-slip motionの回数はもちろん系のエッジのサイズに比例して増えるが,それらが重ね合わさる効果が実は要らない干渉を引き起こしていることが推論できる.つまり,スピンの通過スピードをいくら大きくしても,それらを打ち消す機構を多体効果が孕んでいるため,摩擦力が素直に
に比例することは望むべくもないのだ.だから,この論文は「nanometer sizeの摩擦がmacroscopicなスケールまで拡大されるのはごくごく限られた場合でしか無いよ」というnegativeな主張をしているようにも感じられる.だから,元々の「microではStokes摩擦だけどmacroではCoulomb摩擦」というのはやはり健全な物の見方であり,ただ,それをつなぐような理想的なcrossoverもあるにはあるよというだけの話なのだ.
外場で駆動される結晶の転位模型(Frenkel-Kontorova model = FK)は,この見方を補強してくれる.FKは単なる格子振動とsinusoidalポテンシャルの組み合わせなので,スピン系よりももっと分かりやすい.
1次元のsinusoidalポテンシャルに沿って振り子の支点を一定速度で動かす場合,単位時間あたりに通過するポテンシャルの山の数に応じて振り子の応答が変わるのは明らかである.だから,沢山の2次元格子振り子のような系を2次元sinusoidalポテンシャルによって駆動すれば,(2次元の)面のサイズに比例して応答も大きく変化するというのは正しいかもしれないが,dragするスピードを上げるとそれに伴って応答は増加するというのはちょっと考えにくい.
しかもFKの場合は(本当は)もっとデリケートな事情があって,「結晶の格子定数とポテンシャルの周期の比率が圧倒的多くの場合に無理数となる」ことが結果的にStokes摩擦の成分を相殺しているということが知られている.
むしろ理想的な場合として,「完全に無理数比をなすFK likeな格子同士の摩擦は 例えばになり,超潤滑状態が実現される」という話が知られている.
がその一例である.
だから,何が言いたいかというと,macroscopicな視点から日常に立脚した形で摩擦を研究しようと思うには,最初から多体問題としてaccessしてシミュレーションするのが近道なのかなぁと思ったりもする.もちろん,それだけでは物理は全く理解できないので,色んなスケールの世界を行ったり来たりする必要はある.
まとまりのない感想文になってしまったが,いずれにせよMCで磁気摩擦を調べる研究は(2008年に)始まったばかりなので,この後滅茶苦茶発展して欲しいと思うばかりである.
(2016/11/09追記) 何か,感覚の赴くままに恐ろしいことを書いてしまっていた.誤りだらけなので,正しい理解を得てからもう一度記事を修正しようと思う.